にじいろ。①⑤①
3月11日。
東日本大震災から8年という月日が経ちました。
欅坂46に入ってからこうやってブログで思いを話させて頂くのは4回目です。
最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
8年前、
私が13歳の時でした。
姉の卒業式が終わり、家族全員で昼食を済ませ一息付いてる時間帯
私たちはまだ外にいました。
14時46分
携帯から緊急地震速報が鳴り響き
大きな音と共に大きな揺れが襲ってきて
立ってることは出来ずみんなで体を掴みあってしゃがみ込むのがやっとの状況でした。
目の前の道路は地割れして
コンビニのガラスは割れ、
駐車場に止まっていた車は地震の揺れで有り得ない場所まで動いていて
隣では赤ちゃんを抱えたお母さんが震えています。
近くの木造の古い家は跡形もなくなっていて
電信柱や看板など全て倒れています。
その時眼に映った全ての光景が
今でも鮮明に覚えています。
家の中はもう歩ける状態じゃなくて
リビングを片付けてそこで布団を敷いて家族みんなで過ごしていました。
電気もつかない、水も出ない…
その日から生活のライフラインが全て止まりました。
その日の夜はすごく寒くて車で過ごすことになりました。
その時に今何が起きてるのか?
それを知りたくてラジオを聞いていたら
「津波9メートル」
「学校の屋上に救助を待つ人、SOSの文字」
「母の安否が分かりません、家族と連絡がとれません。」
耳に入る言葉全てが絶望的でした。
その日は雪が降るほど寒くて
その中でも外で取り残された人や救助を待つ人がたくさんいたんです。
その時、
自分の今の状況がどれだけ幸せなのか、
家族と一緒に過ごせていることがどれだけ幸せなのか…
少し時間が経ってから
私は父と津波の被害を受けた街へ行きました。
二階建ての家には大きな船が刺さっていて
小さなおばあちゃんが家の周りで何かをさがしているんです。
自分の家の基礎に座り
どこか遠くを眺めてる人…
何を考えてたんだろう
誰かの思い出の写真が泥まみれで
どこから流されてきたんだろう…
自然災害といっても
憎くて仕方ないです。
こんなにも多くの幸せを簡単に奪ってしまうのが憎くて仕方ないです。
8年経った今も、
辛くて苦しんでる人はたくさんいると思います。
今文字にすると
辛いとか苦しいとか…
すごく薄っぺらくて、すごく嫌なんですけど…
言葉になんて表せないですよね。
私以上にそんな思いをした方がたくさんいて
それでも、前を向いて歩いてて
この8年間復興に向けて人々のために頑張って来てくれた方もたくさんいます。
この東日本大震災を私は絶対に忘れることはありませんし、こうして話すことも続けていきたいです。
今、欅坂46として活動させて頂いてて
たくさんの方に出会えて、
こうしてブログを読んでくれる方がいて
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも東日本大震災を経験した1人として、東北出身、宮城県出身の1人として、
欅坂46の石森虹花として日々頑張っていきたいと思います。
こんな私でも多くの人を助けられたら嬉しい。
欅坂46の曲を聴いて救われる人が居てくれたら嬉しい。
だから前を向いて常に遠くにいる方のことを思って、心に寄り添えるそんな人になりたい。
あなたは1人じゃないよ。
って伝えたい。
これからも応援よろしくお願い致します。
これからも大好きな宮城、東北にたくさんの元気と笑顔を与えられるように頑張りたいです!
もう二度とこんな悲しみはあってはいけない。
3月11日午後2時46分
黙祷よろしくおねがい致します。
平成31年3月11日
欅坂46 石森虹花
最後まで読んでくださりありがとうございました。