虹花からメールです\ ♪♪ /6年。これからも




3月11日


東日本大震災から今日で6年という月日が経ちました。


一年前の今日もブログで書かせて頂きました。



今日も是非見ていただけたら嬉しいです。











東日本大震災を経験したのは
私が13歳、中学1年生の頃でした。



お姉ちゃんの中学校の卒業式
私は家族みんなでいました。


午後2時46分。
大きな揺れに襲われました
今までに感じたことのない恐怖…
私はその時外食をした後でみんなで外にいました。


目の前の家は跡形もない状態になり
道路が地割れし、車のクラクションが鳴り響きました。
ビルは今にも折れそうなくらい揺れていて
隣には赤ちゃんを大事に抱いて震えているお母さん…
みんなで手を掴みあって揺れがおさまるのを待ちました。



その日から町は真っ暗で
生活のライフラインが全て止まりました。
家の中もなにがなんだかわからないくらい物が散乱してて食器もなにもかも手のつけようのない状態…
ストーブ1台で暖をとりました。


親戚の安否も確認できず不安でどんどん心が押しつぶされていきそう…

情報は全くなく唯一繋がったのはラジオだけで電波も不安定…


繋がった時、

「津波9m」

という言葉が聞こえました。



嘘だろ…

お父さんはそんなの有り得るのかと言い
何かの聞き間違いではないかとなりました。


でもラジオの向こうからは

「学校の屋上に約30人」

「橋の上にも救助を待つ人がいます」

嘘とは思えないほどの言葉がたくさん流れてきました。


次の日、新聞が配られました。
記事の大きな写真は津波で流れた町でした。

私の知ってる場所。
行ったことのある場所。
すぐ近く…
そして、親戚や友達が住んでいる場所…


その頃13歳だった私は目の前に起こった出来事を全て受け入れることがとても難しく
もうこのまま全てが無くなってしまうのではないかと小さな頭でずっと考えていた事を今でも覚えています。




車で被災した場所に行きました。

目の前に広がる光景に
涙が流れます。

小さな二階建ての家に
大きな船が刺さっています

小さなおばあちゃんが必死に何かを探しています

自分の家の基礎に座りどこか遠くを眺める人

誰かの思い出の写真が泥まみれになっています…





こんな残酷なこと…
なんでこうならなきゃいけないんだ


辛い悲しい苦しい
こんな簡単な言葉じゃ言えない程の心の痛みに襲われました。










この東日本大震災で

大切な人、お店、家、町、動物
多く大切なものが一気に奪われました。

6年経った今もその悲しみと毎日向き合っている人がたくさんいます。



そして、その悲しみを乗り越えて
復興へと毎日頑張っている人もいます。










私は

今年で20歳になります。



13歳の頃の私よりも出来ることがたくさん増えました。


そして欅坂46という素敵なグループに選んで頂きました。
そして応援してくださる多くのファンの皆さんに出会いました。


東日本大震災を経験した1人として
宮城県出身、東北地方出身の1人として
欅坂46の1人として
石森虹花として


これからも頑張っていきたいと思います。



何か出来ることはたくさんあるはず。

大好きな宮城、東北に元気を与えられるようにこれからも諦めることなく活動していきたいです!






3月11日午後2時46分。
黙祷よろしくお願い致します。












2017年3月11日


石森虹花









読んでいただきありがとうございました。













今日という1日を明日も明明後日もこれからもずっと
毎日を大切に…*.+゚